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塔を巡って若いお嬢さんたちが歩く時代なんですね。で、雨の日でしたが、私はそこへ行ってみて土地の人と話をしました。そうしたら、半年後に老人クラブの人が五輪の塔のところを全部整備しまして、みんなが登ってきて散策すると、そういうことになっているわけです。ですから、そういうのも広く文化なので、単に文化会館の中で芸能を上演するだけが文化ではなくて、それを支えていた人にも文化があるはずなんですね。
今、私のところでは川の問題に取り組んでいます。流域全部の伝承芸能を復元しまして、先ほど途絶える問題が出ましたが、去年の2月に、菊池川という川が流れておりますが、そこの流域に、これが菊池文化だという、毛槍ですね。あれを5人1組で持ち歩くんです。後の人にぽんと投げる。音楽は拍子木です。それが大変残念なことに、文書の上では江戸時代からずっと伝わっておりますが、私が行って、やってくださいといったら、実はやってないんです。これなんです、伝承芸能というのは。ここのところに問題があるわけです。それで私は、長老を説得し、若い人を説得して、全部それを復元して、復元したら熊本の繁華街を歩かせてくださいまでいったわけです。そういうものを中心にして、前後に挾んで、「川をどうする」という討論会を流域の全市町村長と全住民が同じ舞台に上がって2時間ほど討論会をやりました。そして、上流と下流の人に、我が川という意識をもってもらおうと。私、それも文化だと思っているんです。
村井委員 私は、最初の会合で皆さん芸能関係を調べるというのが多いようだったので、あえてそうではないところを調査したのですが、いずれそちらの方へ話が向いてくるだろうと待っておりましたが……。
鈴木委員長 今、井上先生から、もっと広くというお話がありましたが、村井先生、そのことをお話しいただけませんか。
村井委員 基本的にはほぼ似たような構造がありますので、問題点もそう違ってくるわけではありませんが、例えば豊北町の土井ヶ浜の弥生パークというところは、人骨がたくさん出て、弥生時代だけれども、日本の弥生時代とはちょっと違うんではないか。渡来人系統の人骨ではないかということで、そこに人類学ミュージアムというものがつくられた。これは純粋に研究調査の機関です。中国人の研究者を招いて国際シンポジウムも開いた。だから、そこでの研究というのはすぐに地域おこしに役立つというようなたぐいではないんですが、そこにちょっとした弥生公園をつくって住民の参加を求め、赤米による田植えをするとかいうような格好で事業を広げているということがありました。
それから、北前船の河野村では、現在、五大船主の一つといわれた右近家の立派な屋敷が残っておりまして、そこにたくさんの資料、古文書が残っているんですが、そういうものを展示し、古文書を調査し、整理し、目録をつくり、そして日本海沿岸の町村の町村史を全部集めて、そこを海事史研究の拠点たらしめようということをやっております。また
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